謡曲「菊の下水」

木下公定(1652~1730)は備中足守藩六代藩主で、従五位下肥後守に任じられた人です。葵峰(きほう)と号し詩書にも優れていました。江戸時代の延宝七年(1679)藩学の(追琢館)を興して藩の文教振興に尽くしました。また「桑華蒙求(そうかもうきゅう)」「桑華雑阻(そうかざっそ)」などの著作のほか、領内十八箇寺の縁起書を作ったとも伝えられています。

「菊の下水」の謡曲は正徳二年(1712)江戸城中の能舞台の番組に挙げられ、将軍にも感銘を与えたということです。